akitiik's blog

alwayslookonethebrightsideoflife

もやもやしている

最近なにかもやもやしている。前々からひとつやってみたいと思っていたことをようやくやってみたが、やってみるとこんなものかで終わってしまった。よくある話だ。というこの文章自体もよく見る文章だ。でもそれがもやもやの全てではないような気がする。

実はもやもやしている原因にはだいたいあたりがついてる。とてもちっちゃいことだ。具体的にはランニングとサイクリングのどちらにしようかということだ。それとRubyを勉強してみようかということ。そんなの今すぐに全部ためしてみればいいと思われるかもしれない。実際自分でもそう思うのに、なぜかどれもなかなか着手できない。なぜだろう?どこかにやりたくないという気持ちがあるのか、なにかを恐れているのか。

なぜRuby?自分でも不思議に思う。PythonRubyのどちらを選ぶかについてはもうすでに決着をつけたし、そうやって選んだPythonでいまだに意味のあるものを書けてもいないのに別の言語を試そうというのは気が早いような気がする。しかも別にPythonには不満もない(不満がでるほどよく知らない)。それなのにいつのまにかRubyを学んでみたいという気持ちが芽生えていた。なら学べばいいじゃない、と思われるかもしれない。実際自分でもそう思う。しかし気持ちと行動のあいだにもやもやが入り込んでいて、こっちの原因はまだわかっていない。

ランニングかサイクリングか?これはかなり深刻な問題だ。とりあえずどっちもやってみればいいと思われるかもしれない。しかしとりあえずどっちもやってみるとして、最初にどっちから試そうという問題もある。これは冗談としても今日は異常に眠いのでこの問題について整理する気力がない。今度友人に丸投げすることにしてもう考えないようにしよう。

2014/11/05

ずっと日記を書いてなかった。ちょっと忙しくてブログを書いてる時間がなかった(あった時間は他のことに使っていた)。

勉強―Java,Android,英語その他もろもろ―のほうはあんまり進んでいない。なにかひとつのことを勉強しているうちにすぐ脇道にそれていってなかなか当初の方角を向いていられない性格のせいもあるが、いまの段階だと何かを学ぶとすぐに壁にぶつかってしまって、そのたびに調べて解決しなければならないというのが大きい。学ぶべきことが際限なく広がっている感じがして気が遠くなる。

それはそうと少し前にgithubのアカウントを作った(のを最近思い出した)。なんのために作ったのかは忘れてしまったが、なんとなく自分もアカウントが欲しいというミーハー心と後々のことを考えて希望のアカウント名を早めにとっておくかという不純な動機だったような気がする(そのアカウント名を取ろうと考えている人には申し訳ない)。まだなにもないまっさらな状態だ。

いつまでもまっさらな状態なのもさみしいので、何かリポジトリを作ってみたいと思った。でもそもそも自分で書いたまともなコードがない。むかし書いた瞬間英作文を覚えるためのツール(使ってない)でも置いてみようかと考えた。しかし、このツールは世の中に公開できるようなものじゃないという思いがあって少し躊躇している。コードの出来が良くないのは置いといて、そもそもツールのコンセプトそのものがおかしい。瞬間英作文はCDなりを使いながら声に出して練習して、日本語で考える前に口からすらすらと英文が出てくるようにトレーニングするものだ。なのにこのツールは英文をタイピングして覚えるという間違った方法を採っている。存在価値がほとんどないツールだ(作った自分ですら使っていないのだから)。

なんでそんなものになってしまったかというと、pythonをちょっと勉強して何か作ってみようと思ったときにたまたま目に付いたのが『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』だった。これだ!と思ったものの勉強したてなのでそんなに難しいことはできない。小さなツールでもなんでもとにかく何か作ってみたいと思っていたので、さっと作れるようにスキルに合わせて元々のコンセプトをねじまげたという感じだ(今から当時を振り返ってみるとそんな気がするというだけで、実際どうだったかはわからない)。そうして本に載っている例文だけを拝借したまったく別物の勉強ツールになってしまった。

作った当時は自分にとって最初のプログラムが書けたことと、それが動いたことに満足してそのあたりのことを気にもとめなかった。しかし今になってgithubで公開するためのものとして捉えてみると、我ながらどうかしていると思える。

かといって今から書き直して(もしくは新しいものを書いて)からという気にもならない。どれだけ時間がかかるかわからないし、githubを使ってみるという目的からどんどん離れていきそうだ。結局なにもかも割りきって、えいやっと公開するしかない。この記事を書いているうちに決心がついた。ありがとうはてなブログ。そうと決まればこんな文章を書いてる場合じゃないのでこのへんで打ち切ってgitとgithubの使い方を調べることにしよう。なんとか今週中には目的を達成したい。

PyCon JPというものがあるらしいことを知る

ブログを書こうと思いつつも書くべきことがなかったので例のごとくはてなブログのトップページを眺めていたら、PyCon JPというものについて書かれた記事が目に入ってきた。
記事中に貼ってあったPyCon JP 2014のサイトへ飛んでみると、どうやら今週末に開催される予定で、一般チケットはもう売り切れているみたいだ。
まぁもうすこし早く気がついてチケットが買える状態だったとしても、参加はできなかっただろうけど。

ぼくは少し前にPythonを使って自分にとってのはじめてのプログラムとなるツール(と呼べるのかさえわからない)を作ったことがあって、それ以来Pythonには興味がある。
Pythonツールを作ったといっても、「Hello, world!」から1段階進化した程度のものだし、公式サイトのチュートリアルを読んだあとググって必要なものを集めてきただけなので、実際のレベルははじめて3日の超初心者ってとこだ。(ちなみに作ったツールについてはhttp://akitiik.hatenablog.com/entry/2014/07/23/200252に書いた)
なので、PyCon JPのサイトにあるトーク一覧を見てみてもなにが書かれてるのかさっぱりわからないって状態だ。
唯一「野球ではじめるPythonプログラミング」というトークにはおもしろそうなにおいをプンプン感じたけれど、たぶん聴いたところでチンプンカンプンだろうと思う。
残念ながらぼくはスキルはないくせに興味だけはある(にもかかわらず努力をしない)というよくいるワナビーそのものだ。
行きたい気持ちはあっても、PyCon JPはぼくには遠い世界の話だと感じる。

ところで話はかわるが、「遠い世界の話」という言いまわしの「遠い」という表現は地球上の距離を尺度にした「遠さ」なのだろうか?
もしそうだとしたら、地球の円周はほぼ40000kmなので、地球がじつは楕円形だということは無視してもしなくても、「遠さ」の最大値はほぼ20000kmということになる。
20000kmという距離は現代人にとってはそこまで遠くない。飛行機なら乗り継ぎなどがあったとしてもまぁ30時間もあればたどり着けるくらいの距離だ。
今から飛行機にとび乗ればPyCon JP 2014が開催される前にブラジルでスリにあうことだってできる(飛行機代を払ってなおスられるだけのお金があれば)。
なのに、距離も時間もお金も、地球上で最も遠い場所とは比較にならないほどかからないはずのPyCon JP 2014会場へは行けない。遠いところへは行けるのに、近いところには行けない。これはおかしい。
つまり「遠い世界」というのは距離を尺度にしたものではないということになる。なんてわかりきったことがわかってしまったんだろう。
じゃあ「遠い世界」はなにを尺度にしているのかという真相については話がそれすぎたのでやめておく。
PyCon JPに感じている「遠さ」を縮めたいならこんな文章を書いてないで学べ、という己の内なる声によって蒙を啓かれたからだ。
こんな誰も読まない文章を書いて時間を浪費している場合じゃない。

PyCon JP 2014のプログラムにはチュートリアルというものがあるようだ。そのなかには対象者を「これからPythonを始めようとしている方、Python3を学びたい方」としているものがある。
これならぼくも参加できそうな気もする。しかもカンファレンスで講師をされるようなすごい人に教わるなんてまたとないチャンスだ。
しかし最初に書いたように、一般チケットはもう売り切れている(パトロンチケットというものはまだ残っているらしい)。まぁしょうがない。そもそも日程的に行けないことにも気がづいた。

今回はその存在を知っただけでよしとしなければ。いい目標ができたというものだ。次に開催されるときまでに、それなりの知識を身に付けて経験を積む。
とはいっても、次に開催されるのはたぶん来年だろうから、それなりの知識を身に付けて経験を積むための期間としてはあまりに短い。
ということはあれだ。ワナビーの行動規範にしたがって「いつか」としておこう。いつか参加できるようになろう。やはりこれだ。かなりしっくりくる。

今はAndroidアプリを作ろうとしてるところだから、そもそもPythonに触れている時間はないのが実際のところだ。
ぼくの場合、作りたいものとやりたい言語の乖離が問題なのかもしれない。行動せずに取るに足らないよけいな知識だけをためこんでいった結果こうなったのだろうか。

とにかく、完全な部外者ですが、PyCon JP 2014が無事開催され実り多いカンファレンスとなることを勝手にひっそりと願っております。

そういえば、PyCon JP 2014のサイトトップページにあるロゴについてすこし気になったところがあったんだけど、それについてはまた他の記事でいつか書こうと思う。それと、やっぱり20000kmはかなり遠い。

2番目にレアじゃないスター

ブログを書こうと思いはてなブログの管理画面にアクセスしたはいいが、書くべきことがないということに気がついた。

そこでなんとなくはてなブログのトップページを訪問してみると(トップページを見たのはこのブログを作ったとき以来かもしれない)、「今週のお題」なるものが目に入ってきた。

わたしのようにブログ記事を書こうとは思っているけれど書くべきことがないというユーザーにはとてもありがたいサポートだと思う。

しかも、お題など必要ないほど書くべきことに満ちあふれているユーザーにも、お題に沿った記事を書いて応募するとスターがもらえるかもしれないという特典が用意されているし、

もしスターをもらえなかったとしても、お題企画に応募した記事はたとえどんなに新参・弱小ブログであっても応募記事一覧として表示されるので普通に記事を書くよりも目につきやすく、読者を集めたいユーザーには大きなメリットがある。

総合的にとてもすばらしい企画だ。

 

どんな記事が書かれていてどれくらいの数が応募されているのか気になったので企画のページをクリックしてみると、なんと10000件もの応募があった。

はてなブログはここまでユーザーがいたのか、それもまだ週のはじめだというのにさっそく写真を撮り記事を書いて応募する熱心なユーザーが1万人もいて、1万ものかばんについて書かれた記事がネット上に生み出されたのか、はてなブログいや株式会社はてなは安泰だ!とどこから湧いたのかよくわからない謎のよろこびを感じたのも束の間、

1万件という数字は「今週のお題」キャンペーン全体での応募数であって「私のかばん」のものではなく、お題自体も今週の月曜日に出たものわけでもなかったらしいことに気がついた。どうやらお題は毎週木曜日に更新されるらしい。

(ちなみに最初は10000(1万)を100000(10万)だと見まちがえてさらに盛大な勘違いをしていて、桁区切りというものについてすこし考えてみるきっかけになった)

 

応募されている記事をいくつか眺めていると、わたしと同じ勘違いをしている人がいた。記事として公開されているのでまだ気がついていないのかもしれない。

たとえば家庭教師などが、受け持った生徒が過去の自分と同じ所で躓いていたり過去の自分と同じミスをしているのを見たとき親近感のようなものを覚えて親身になって教えてあげるように、

わたしはその人の勘違いに(上から目線の)共感を覚え、ほほえみとともにその記事にスターを付けた。

この勘違いはページの作りがまぎらわしいがゆえのちょっとした早とちりであって、わたしたちに責任はないという思いもこめて。

(このとき、慣れなさゆえか引用スターをつける操作を2回もミスしてしまった。ドラッグしているとマウスが行き過ぎてしまいそこから上すべてが反転してしまったので、いちど脇をクリックして反転を解除しようとしたらそこにポッとあらわれたスターボタンをクリックしてしまったのがひとつと、スターを解除しようとしてもう一度それを押してしまったのがもうひとつだ)

 

ところでスターといえば、「今週のお題」企画では自分の記事が「ふりかえり」で選ばれるとグリーンスターがもらえると書かれている。

わたしははてなにおけるスターというシステムの存在自体とそのスターにはいくつかの色が存在するということしか知らなかったが、

調べてみるとスターにはイエロー・グリーン・レッド・ブルーの4種類があり、レア度によって色分けされているらしい。

ブルーがいちばんレアで、レッドが次にレア、2番目にレアじゃないのがグリーンで、1番レアじゃないのがイエロー。

(どうやらブルーよりさらにレアなその名もレアスターという紫色のスターもあるらしい)

 

ということで、グリーンスターがもらえるとはいってもとびはねて喜ぶようなものでもなさそうだ。まったくレアじゃないイエローの次にレアじゃないスターだし、もらえるのは「1個」だけだ。

そもそもわたしはスターというものをごくたまにしか使わないのでスターのレア度に対する感覚がにぶいというのもある。

もっと多くのスターをもらうようになったり、自分でもよく使うようになればスターの価値というものがわかってくるのかもしれない。

そうはいっても今のところ記事を書くのもはてブを使うのもあまり活発ではないので(スターをもらうに値する活動ができる自信もない)、わたしが多くのスターを獲得するようになる未来はレアだろう。

 

けっきょく、上にも書いたとおり「ふりかえり」で選ばれるというのはグリーンスターがもらえることよりも、多くの記事から自分のものが選ばれたということ自体の栄誉と取り上げてもらうことで多くの人の目にとまりやすいという宣伝的な効果が大きいのだろう。

わたしもそのうち参加してみようと思う。しかしどうもああいった記事には画像がないとはじまらないという感じがあるので、まずはブログに載せてはずかしくないくらいの写真が撮れるカメラの購入から検討しなければ。

実際に記事を書くのは、数えきれないほど存在しそれぞれの違いが大きさと色くらいしかわからないカメラたちの中からどれを選ぶべきか慎重に検討し、カメラの使い方やうまい写真の撮りかた、さらには画像編集のテクニックを完璧にマスターしてからでなければならない。

それもカメラを買う資金のめどがつけばの話だ。